マネジメントブログ

「順調そうな臨床試験が後期に失敗してしまうのにはどんな理由が考えられますか?」

ご質問(8月13日)

公式ツイッターアカウントに、こんなご質問が届きました。

今まさに臨床試験を進めている当事者である私たちにとって、けっこう答えにくいご質問です。
当社の化合物CBP501について説明すると「そんなに失敗すると思ってやっているのか」と言われかねないし、かといって特定の他社様の臨床試験失敗の説明が悪口や非難と受け止められてもいけません。
タイミングも難しいです。臨床試験を失敗した直後に書いたら「言い訳」ととられかねないし、失敗する前に書いたら「保険を打ってる」と言われかねません。

そんなわけで少し悩んだのですが、やはり当事者として一度ちゃんと腰を据えてお答えしようと考え、連続ツイートでお答えしました。

ツイートの連投のほうが読みやすいというかたもおられるし、ブログでまとめてあるほうが良いというかたもおられるので、このブログのほうにもひとまとめにしておきます。

ツイッター公表時から、一部加筆修正があります。
また、ツイッターの文字数制限に合わせるために削除したり書き直したりしてあったた部分は、ブログでは原文に戻してあります。

回答(8月14日)

ご質問ありがとうございます。
素人質問などではまったくなく、医薬品開発に関わる人々を過去も現在も悩ませてきたテーマで、なかなかお答えが難しいです。
回答が少し長文になりますがご容赦ください。

まず、基本的な話です。
第3相試験は、統計的有意差を求める試験です。
期待どおりの結果が出ればその結果が真実である可能性が十分に高いので、承認に至ります。
第1相・第2相で得られた結果ももちろん統計的なものですが、その「確からしさ」は、承認の可否を決めるには不十分なのです。
言い換えると、「第1相・第2相で示された結果は、第3相よりも相対的に、偶然であったかもしれない度合いが大きい」ということです。
これは、少数の試験から順に人数を増やしていくという臨床試験の仕組み上、避けることのできない必然的な話です。

その差を少しでも減らすために各社は、第1相・第2相試験のデザインをできる限り工夫し、また、それらの結果を考えられる限り多くの角度から検討して確からしさを検証して、第3相試験実行の可否を決めます。

しかしそれでも、どんなに工夫をしたとしても、第2相試験までの比較的少数の症例で得られた情報から第3相試験で起きることを予測する以上は、失敗の余地が残ります。
「ひょっとしたら起きるかも知れない」をすべて回避することはできません。
どうしても完全に回避せよと言われたら、「立ち止まる」しかなくなってしまいます。

つまり、立ち止まらずに進められているすべての臨床試験は、大なり小なり、さまざまな「失敗のおそれ」「リスク」を抱えて進められているということです。
失敗のリスクは、医薬品開発の本質と不可分のものだとお考えいただくのが良いと思います。

ご質問の「第2相まで一見順調と見えていたものが第3相で失敗してしまう」については、多くのケースが、この本質的なリスクが顕在化したということで説明可能と思われます。

続編(8月15日)

昨日の連続投稿回答に多数のご反響ありがとうございました。
その中に、追加のご質問がありましたので、続きを投稿します。
追加ご質問は、

『多くのケースが本質的なリスクの顕在化で説明可能』とあるが、それ以外のケースもよく見るので説明がほしい

というものでした。

はい、実は昨日の投稿で省略した部分です。
順調と見えていた臨床試験が第3相で失敗する理由は、昨日書いた本質的リスク以外にもさまざまです。

たとえば、疾患領域や個別の薬剤ごとに、その特徴と背中合わせの、特有の開発リスクがあります。
また、臨床試験を実施する国のレギュレーションや指導方針・承認方針などによって生じるリスクもあります。
これらをすべてお答えするのは困難で、「いろいろ個別にあるものなのだな」とご理解いただければ良いと思います。

第3相試験は、一般に多額の投資を要しますから、誰しもできれば失敗したくありません。
「こうすればもっと第3相試験の成功確率が上がるのではないか」と思いつくようなことは、各社だいたい全部試されています。
規制当局も、結果の予測精度を高めるための試験項目追加を指示したりします。

たとえば私たちは今回のCBP501第2相試験の設計にあたって、第2相終了時の意思決定の精度を高めるために、第3相で起こり得ることを可能な限り事前に第2相で検証することや、第3相の前にやっておくべき試験のやり残しをなくすことに尽力しました。
FDAと事前ミーティングを重ねたのもそのためです。
また、基礎研究の蓄積から得られた作用機序仮説とこれまでの臨床試験データとの照らし合わせも、科学顧問らとともに綿密に繰り返しました。
この点は、基礎研究と臨床開発の連携を大切にしてきた私たちの強みであり、その強みを生かして予測精度を高めようと試みたものです。

しかし、それでもなお、CBP501の開発リスクが完全になくなるとは考えていません。
既に何度も書いているように、リスクをなくすことはできません。

リスクは、「ある」か「ない」かではなく、どのようなリスクがどのくらいの発生確率で存在しているかがポイントです。
これまで書いてきたとおり、その状況は個別の事例ごとに異なります。
したがって、一般論にとどまることなく、個別の事例ごとに、十分なリスク情報の開示やコミュニケーションが図られるべきと考えています。

私たちは、適時開示等だけでなくツイッターIRなどを織り交ぜることによって、良質なコミュニケーションを実現しようと試みています。
今後もさらに心がけていく所存です。

蛇足(8月15日)

失敗リスクが医薬品開発の本質と不可分である以上、そのリスクが運悪く顕在化してしまうことも当然あります。

その際に、後講釈で「こういうことが起きる可能性も見えていたはずだ」と、あたかも経営陣が投資家を騙したかのように、責任を追及し非難する声があがることがあります。

ここまで書いたとおり、臨床試験を進めるにあたっては、誰もが血眼になってリスクを探し回り、それらをできる限り事前に潰そうとします。
ですから、見えていたか見えてなかったかの二択で問われれば、見えていなかったわけではないケースも多いでしょう。

ただ、「見えていたのなら失敗は経営者の責任だ」と考えるのはやや早計かもしれません。
なぜなら、それでも前へ進むかどうかの判断は、リスクの有無だけでは決まらないからです。

「ひょっとしたら起こるかもしれない」の度合いがある程度より小さい(許容できる)と判断したときには、起こるかもしれないリスクを負って(リスクテイクして)進む経営判断が必要になることもあります。
むろん失敗がないに越したことはないのですが、小さなリスクを気にして立ち止まりすぎていては、新薬の開発はできません。
リスクテイクに見合ったリターンが期待できるのであれば前に進むということも、医薬品開発の本質のひとつです。

世の中には詐欺的な臨床試験も存在しないわけではなく、そこで発生するいわば起こるべくして起きた失敗は、厳しく責任追及されねばなりません。
しかし、そうでない経営判断で起きてしまった場合には、「臨床開発に失敗はつきもの」と考えて、その失敗の内容や経緯、そこから得られるものを次に生かせるかどうかなど、さまざまな軸で情報が共有され、冷静に議論・評価されるのが良いのではないでしょうか。
そのほうが、私たち創薬業界にも、画期的新薬をお待ちになっている患者様にも、ひいては投資家の皆様にとっても、より良い未来を作れるだろうと考えています。