マネジメントブログ

キャンバスの本社が沼津になったいくつかのいきさつ

「どうしてキャンバスの本社は沼津なんですか」
これまで何百回、このご質問を受けたことでしょう。
確かに、ちょっと不思議な立地ですよね。



話は、キャンバスを創業した2000年に遡ります。
現社長河邊が助教授(当時)を務めていた名古屋市立大学発のベンチャーとしてスタートしたキャンバスは、大学に程近いビルの一室に事務机とホワイトボードだけの質素なオフィスを構えました。

一般にキャンバスのような創薬ベンチャー企業は、最初からウェットラボ(装置や薬品を用いた実験をおこなう研究施設。コンピュータ等のデスクワークのみのラボはドライラボといいます)を自社で保有することは稀です。
多くの場合、連携先の大学や研究機関や製薬企業等のラボに社員を派遣して自社の研究を実施します。
キャンバスも、当初の計画では、河邊の勤める名古屋市立大学のウェットラボへの社員派遣で創業期の研究を進める予定でした。
ところが、大学側のキャパシティの問題など事情が途中で変わり、急転直下、キャンバスは大学ラボを使えないことになってしまいました。

現在であれば、多くの起業インキュベータがバイオ用のウェットラボを準備しているので、そこに入居する手もあります。
しかし2000年当時、そうしたウェットラボを有している起業インキュベータは日本中探しても数少なく、名古屋近隣には八方手を尽くして探し回ってもひとつもありませんでした。

起業直後の計画が大きく狂いかねないと頭を抱えつつ、それでも会社関係者の多くに声を掛けていました。
そんな中、エンジェル出資者のひとりがある朝たまたま新聞を拡げたところ、
「静岡県沼津工業技術センター(現在の沼津工業技術支援センター)付設のインキュベーション施設が入居者を募集している」
という記事を見つけてくれました。
大急ぎで問い合わせをしてみると、キャンバスが希望するような分子生物学的実験のできるウェットラボも利用できるとのこと。
その上、マウスやラットを用いた簡易動物試験もできることがわかりました。

沼津は創業メンバーには縁もゆかりもない土地でしたが迷いはなく、創業メンバーや社員(ほんの数名でしたが)が沼津に転居して本社をまるごと沼津に移転することに決めました。

オフィスとして使える場所も手配でき、翌2001年1月には沼津工業技術センター内にウェットラボ、同センター付設インキュベーション施設に動物実験施設と事務机のセットアップをそれぞれ完了して、本社機能が沼津で動き始めました。
社長の河邊もその後まもなく名古屋市立大を退職して沼津に転居しました。

その後、役職員数が増えて間借りオフィスが手狭になり、2002年に沼津市通横町のオフィスビルに移りました。
その時点では引き続き工業技術センターの動物実験施設を利用していたのですが、インキュベーション施設ということで5年間の入居期間制限があったため、これが経過した2006年、通横町のビル近隣の土地に動物実験施設を移設。
さらに2010年に、現在の本社に移転しました。
(この移転については昨年9月のブログ『キャンバス本社屋の壁はなぜ黄色いのか』も併せてお読みください)

沼津という立地が有利なのか不利なのかは、ひとくちには語れません。
東京からの距離は約100km、新幹線だと三島での乗換を含めて1時間程度かかります。この距離と時間がメリットになる場合もデメリットになる場合もあったと思います。

都会に近い場所にこだわらずやりたい研究を好環境でできることが最優先の研究者にとっては、この沼津という立地はうってつけのようです。
東京からの新幹線通勤は認めていないので、新たに採用した社員の多くは沼津への転居を伴う入社をしてもらっています。
それがネックでキャンバスへの就職転職を見合わされてしまったこともたぶん少なからずあったと思われるのですが、それをものともせず入社してくれた研究者は皆ひとり残らずモチベーションが高く、志も高いと感じます。

うちひとりは、米国から沼津に越してきた米国人コンピュータケミストです。
自身もバイオベンチャー起業経験者で、キャンバスの研究テーマに共感して単身渡ってきてくれました。
いずれ、このブログで彼のご紹介をすることがあるかもしれません。

そんなわけで沼津に本社を置いてから、もう今年で15年になります。

私が以前在籍していたベンチャーキャピタルの業界に
「老舗(しにせ)ベンチャー」
という言葉があります。
お気づきのとおり、褒め言葉ではありません。
「いつまでも『ベンチャーです』と言い続けて10年も15年もやっていちゃいけないでしょう」
という揶揄の意味が強い言葉です。

気づけばキャンバス自体がそうなりかけています。
ベンチャーならではの行動力は維持しつつ、収益面や財務面の安定性、そして何より研究開発の成果を、どんどん積み上げていかねばなりません。
成長の節目とするべき年と思っています。