マネジメントブログ

「分子標的薬」にまつわる雑感(2)

前回(1)の続きです。

キャンバスのCBP501は、(主に)カルモジュリンに結合して、その多分子調整作用を調節する薬剤です。

具体的には、
・カルモジュリンがかかわる複数のイオンチャンネルへの作用によって、白金製剤の癌細胞特異的な取り込みを増やすとともに、癌細胞を免疫原性細胞死に導く
・カルモジュリンがかかわる癌細胞内のシグナル伝達系への作用によって、癌細胞の遊走・浸潤・上皮間葉移行を阻害する
・カルモジュリンがかかわるマクロファージ細胞内のシグナル伝達系への作用によって、免疫抑制的なマクロファージの働きを抑制するとともに、癌幹細胞の増加を防ぐ
といった作用がわかっています。

ですから、もちろん、カルモジュリンという分子標的のある薬剤です。

しかし、これを分子標的薬の一般的な呼び方に沿って
「カルモジュリン阻害剤」
と呼んでしまうと、とてもたくさんの古い薬剤と同じ分類にされてしまいます。

カルモジュリンは、細胞内のさまざまな分子に作用するため、この働きを阻害してしまうと正常細胞にも重大な影響を及ぼしてしまいます。
古い概念でいう「カルモジュリン阻害剤」は、おそらくその影響のために、抗癌剤になったものはありません。

それらの古いカルモジュリン阻害剤とCBP501は、全くと言ってよいほど異なる効果を示します。
その理由は、カルモジュリン自体が細胞内のさまざまな場所に位置するとともに、構造が柔軟で、その場所や構造の変化のしかたによって薬剤の影響を受ける作用対象群が変わるからだと考えています。

しかし、「分子標的薬」の概念でいう分類は、あくまでもそれらと同じになります。
いわば、入り口で、古い古い薬たちと同じレッテルを貼り付けられてしまうのです。

何を細かいことを、と感じられたかもしれません。
しかし、実はこれが、製薬会社等との提携交渉の際に、最初の障害になります。

「今年はこの領域のこういう分子に働くものを導入する」
と決めてしまっている製薬会社が少なくないのですが、その「こういう」の部分が、多くの場合、目新しい標的分子名を冠した「分子標的薬」です。
カルモジュリンには、それに作用すると言われれている古い薬がたくさんあるので、カルモジュリンに対する分子標的薬は彼らにとっての「今年導入するもの」にはなりづらいことになります。

とても単純な理屈ですが、これが案外私たちにとって面倒なハードルなのです。

もちろん、それを何とか乗り越えて粘り強く交渉を続けています。
ハードルを乗り越えるための最大の武器は「臨床データ」です。
現在までに獲得したフェーズ1b試験容量漸増相の良好な成果もその有力なひとつと考えていますし、さらなる交渉材料となる拡大相の推進を図っています。

ただ、やはり釈然としないものが残ります。

考えてみると、ベンチャーにとっては本来、こういう事態こそ活躍の場です。
つまり、たとえば「分子標的薬」という言葉があるばかりに既存業界の常識では評価されない(評価することができない)けれど、自分たちは絶対に良いと信じているもの。
その推進こそが、ベンチャーのやるべき仕事でしょう。

未上場段階や上場後の資金環境に恵まれる米国の創薬ベンチャーは、それを自力で進め始めています。
その展望(夢)に付き合ってくれる投資家を見つけて、大きな資金を集め、業界の既存の人たちの力を借りずに、最後まで事業を成し遂げてしまう。
キャンバスのパートナーであるStemlineもその1社です。
彼らの最先行化合物SL-401は、どこにも導出することなく、彼ら自身のリスクテイクによる臨床試験を進め、もうFDAの承認獲得寸前まで漕ぎ着けています。

残念ながら日本にはそうした実例はとても少なく、実例がないからそういう環境もありません。
ある意味で悪循環です。

ですが、私たちが徒手空拳で創業してからもうすぐ20年、その間にさまざまなことが変わり続けてきました。
これからもきっと、さまざまなことが変わるでしょう。
既にその萌芽はあちらこちらに見え始めています。

日本の創薬ベンチャーが米国の事例のように、業界既存の常識では評価されない(評価することができない)けれど自分たちは絶対に良いと信じているものを自らの手で進めて承認獲得まで漕ぎ着けるような時代も、いずれ来るに違いありません。

そのとき、私たちキャンバスは、そのさきがけのひとつでありたいと思います。

キャンバスは当面、引き続き、CBP501や次世代パイプラインの提携先探索の努力を怠りません。
ですが、それと並行してそろそろ、「早期臨床までやって後半は製薬会社等にバトンタッチ」なんて言わずに、既存の業界による評価に合わせるのではなく、最後まで自分たちでやる姿を目指す場合の将来像のシミュレーションも、夢を見るのと同じようなものかもしれないけれど真面目に、頭の片隅でしておきたいと思っています。

(もう少し続きます)